下北 海峡に臨む―ヒバと広葉樹

2024年05月05日

津軽海峡。本州と北海道の最短距離は18.7kmですが、動物相はそこで大きく変わることが知られています(ブラキストン線)。植物では動物ほど明瞭ではないものの「北海道にだけある」「北海道にはない種」は少なくはありません。前者はモミ属(トドマツ)、トウヒ属(エゾマツ)、後者はスギ、マツ属(アカマツ、クロマツ)が挙げられます。広葉樹だと、ブナが渡島半島中部まで生育することがよく知られるように海峡を超えて自然分布する種が多い印象ですが、もちろんその限りではありません。

多くの樹種が北限となり、樹種数が少ない北海道北部に住んでいると、そのような分布の制限がとても気になります。

今回の大きな目当てはヒバ。海峡を超えて渡島半島まで分布しています。下北には以前2回来たことがありましたが、2年前に能登でヒバ(能登での呼称はアテ)を見たときから、もう一度訪れたいと考えていました。分布線も気にしながら、正味丸一日の滞在。


薬研渓流(むつ市大畑)

下北でヒバの名所、といえばまずはここ。薬研温泉から奥薬研温泉に至る2kmほどの区間、大畑川の左岸に遊歩道が整備されています。

「大畑ヒバ施業実験林」の大きな看板。この河岸から北斜面にかけて面積200ヘクタールの試験地が広がっています。

ヒバ(ヒノキアスナロ)はヒノキ科アスナロ属に分類されるアスナロの変種と位置づけられています。分布は北海道南部から、栃木県日光、佐渡、能登あたりまで。総蓄積の8割は青森にあると見積もられそうです。材は建築用に用いられ、とくに耐湿性、耐蟻性(シロアリ耐性)があることから、社寺、住宅の土台や柱に使われます。

この試験地では、そうしたヒバ資源の持続可能な管理について1931(昭和6)年から長期の施業研究が行われています。

採用されている施業法は択伐。毎年 10ヘクタールほどの区画を2か所、10年回帰で施業対象にしているとのこと。

林床には古い切株が各所にみられました。

試験結果がわかりやすく掲示されていました。全体の蓄積は400立方m/ヘクタール。択伐が繰り返されてきた中で、この値は1931年からほぼ同等の蓄積を保っています。当初は広葉樹の混交率が半分程度だったのが、現在は80%ほど。これは当初広葉樹を多く伐採して、ある程度ねらった結果のようです。

択伐によるヒバの持続性を支えるのが、林冠下での更新の豊富さ。切株の周囲に小径木が密生しています。

実生の定着には鉱物質土壌の露出が必要で、施業では枝条の整理やササの刈り払いも行われたそうです。

そのような条件で定着したヒバ実生は、サイズが大きくなると地表面に匍匐した側枝から発根して幹数が増加します(伏条更新)。伏状稚樹は、林冠下で相対照度3%程度の条件にも耐え、50年以上生存することもあるとされています。そして、光条件が改善されると芯立ちして急速に成長します。択伐はこの性質にきわめてよく適合した施業法といえます。

歩道の近くで調査が行われている様子もうかがえましたが、稚樹の調査はたいへんそう。。

試験地内に設けられた無施業林(1931年以降一切の施業が行われていない)との境界には看板が設置され、両社の違いの詳しい説明がありました。

現在の蓄積は700立方m/ヘクタールに達するとのこと。1931年には490立方mだったので、1.5倍近くになったことになります。

そして森林の構成が全く異なります。択伐林できわめて多かった小径木がここでは少なく、サイズが明らかに大径に偏っています。直径1mクラスのヒバも。

広葉樹が多数混交することも明確な違いです。

ブナ。

ミズナラ。とりわけ目立った大径木。

ホオノキ。

トチノキ。

ハリギリ。

イタヤカエデ。

サワグルミ。

この試験地を設定し、ヒバ林の施業を確立した松川恭佐の記念碑がありました。松川の考えは1930年「森林構成群ヲ基礎トスルひば天然林ノ施業法」として発表されています。説明看板による、わかりやすい説明「森林にも、人間の社会と同じように多くの家族群がある。爺さん婆さんも、子供も孫もいる。それらが集まって全体を支えている。全体を良くするためには、それぞれの家族を良くしなければならない」。

全国29産地から集められたヒバ(アスナロ)の見本林もありました。1953年の植栽なので70年生。 能登や木曽など、かつて訪れた箇所のものも。

川に沿って伸びる歩道は、昭和初期(つまり試験地設定の頃)の森林軌道の跡。一部線路が復元して敷かれていました。散策のアクセントとなる全長100mの手掘りのトンネルも。

(線路ついでに)ヒバのかつての主要な用途として鉄道の枕木があったそうです。大正期には大湊に専門の工場が設立され、クリに次ぐ利用がなされたとのこと。

川音を聞きながら、気持ちよく歩きました。

コブシ。

カツラ。

ヤマザクラ。

ウワミズザクラ。

アカシデ。

アオダモ。

ハウチワカエデ。

ヤマモミジ、ミネカエデ。

ミツデカエデ。

ミズキ。

ケヤマハンノキ。

全体にササは目立ちませんでした。

ふたたびヒバ林。試験地の外ですが、ここにも古い切株。

そして、ここではごく最近に伐採が行われたようでした。チェンソー伐倒、重機で全幹集材が行われた模様。

切株。年輪数200を超えているように見えました。一般には、伐採率30%(回帰年30年)程度で行われているようです。

ハクウンボク。

ムラサキヤシオ。

オオカメノキ、タニウツギ。

ところどころ、サクラの花が見えました。

キャンプ場の奥に案内板があったクリの大径木。「おぐり」と呼ばれ「森の巨人たち百選」に選ばれています。樹高27m、幹の周囲長7.8m。樹齢は800年との記載。

2時間ほど歩いて薬研温泉に戻りました。

帰り道、道沿いに土場があり、ヒバ材が並んでいました。コブのある短幹も。どの程度の値がつくのでしょうか。。

成長が遅いことに加え、人工林資源が乏しく、択伐による生産に頼る下北のヒバ。資源量・伐採量とも減少傾向にあるようです。

今後の持続性を考えれば付加価値の高い利用が必要になりますが、ヒバにはそれを可能にする個性・特性があります。最近は、抗菌性と香りのよさ(ヒノキチオール)をいかした端材や葉の利用も進んでいるようです。こうした強みを、経済的な持続可能性の担保につなげ、現代にあった非皆伐+天然更新施業が再確立されていくことを強く願いました。


二股山(大間町奥戸)

くるまを走らせて、函館への航路がある大間から南側にひとつめの集落、奥戸。読みは「おこっぺ」。北海道に近いことを感じさせるアイヌ語地名です。

林道に入り、奥戸川に沿った道を走ると、思いがけず立派な看板がありました。

ここに来た目的は、ケヤキの北限を見るため。国有林の「二股山ケヤキ林木遺伝資源保存林」があることを地図で確認していました。

が、目的地について事前の情報はまったく得られず、国有林の林班図を頼りに歩こうとしていたのですが、尾根に向かって案内標識もあって、少し拍子抜け。

とはいえ、登り始めると踏み跡はわかりにくく、最近はほとんど歩かれていないようでした。たどり着けるか若干不安になりつつ、スギ人工林の中を登っていきます。林床に天然更新したとみられるヒバが密生。このような更新は、もともとヒバ林であった場所で顕著だそうです。

ヒバの人工林は少なく、自然分布の中心であるこの青森県でも、人工林総面積の0.5%を占めるに過ぎないとのこと。皆伐跡に一斉造林して成功した事例は少ないそうです。このスギ人工林のような状況であれば図らずとも複層林ができそうな勢いなので、成長が遅いことに目をつぶれば、いろいろと育成の方法はあるようにも感じます 。

ヤマザクラ。花が見られました。

踏み跡は途中でわからなくなってしまいましたが、20分ほど登ったところで、不意にヒバの大径木がある箇所に飛び出ました。

直径50cmクラスのヒバが優占。このような立派な森を期待していなかったので驚きます。林床の稚樹は多くなく植被は少なめ。

広葉樹の大径木が多数混交する林相。カツラ。

トチノキ。

オヒョウ。

ミズナラ。

イタヤカエデ。

シナノキ。

ハリギリ、クリ。これらは展葉前。

ホオノキ。

そしてその中にケヤキがありました! 直径70cmの大径木も。展葉中の新緑が青空に映えていました。

葉と樹皮。北限ということで来てみたのですが、こんなに見事な混交林に出会えて嬉しいです。

少し下のほうに保護林の看板が立っていました。来れて満足です。

帰り道、林縁に若木も見られました。

オオバクロモジ。

キブシ、ツタウルシ。

ハクウンボク、サラサドウダン。

マルバアオダモ、ムラサキシキブ。

ガマズミ、ニワトコ。

オオカメノキ。

モミジイチゴ、サンショウ。

アワブキ。これも北海道には分布しないので、北限かも。

シウリザクラ。

オニグルミ。

イヌシデ、サワシバ。

ヤマモミジ、ハウチワカエデ。

1時間半ほどで林道に帰還。来てよかったです!

津軽海峡。青空にめぐまれました。


大尽山(むつ市田名部宇曽利山)

日が変わり、朝から山を登ります。5:30登山口から歩きはじめました。

登山口は、霊場として知られる恐山・菩提寺の入口。カルデラ湖である宇曽利山(うそりやま)湖の外輪山のひとつ大尽山(おおつくしやま)が今日の目的地。だいぶ遠く見えます。

入口には大きな看板。恐山山地森林生態系保護地域に指定されています。

湖岸に沿った気持ちのよい歩道。今日のコース、前半は平坦な道を3kmほど、宇曽利山湖を約半周します。登りはそこから。

途中からは湿地帯が広がっていました。

保護林に指定されている ヤチダモの湿地林。展葉はまだですが、気持ちのよい林です。

サワグルミ。

カツラ。

トチノキ。

コブシ。

オノエヤナギ。

ミズキ。

シウリザクラ、エゾノコリンゴ。

ヤマアジサイ、ツルアジサイ。

ノリウツギ、リョウブ。

ムラサキヤシオ。

イヌツゲ。

カンボク、ニワトコ。

イヌガヤ。

スギ。この森ではあまり見かけませんでした。本州の日本海側ではブナとよく混交しますが、ここではヒバに置き換わられている感があり、興味深いです。

林の向こう、山が近づいてきました。

1時間強で登り口。ここの標高は218mで、山頂まで標高差は約600m。

ここからしばらくの緩斜面、なかなかすばらしいヒバの林でした。

そしてブナが混交。

この2樹種が圧倒的に優占しています。箇所によって多寡が変わりますが、いずれにしても両社の対比が美しい森です。

その次に多い林冠種はホオノキに見えました。展葉したらもう少し存在感増すかもしれません。

さらにその次はミズナラ。競争力高そうなヒバ、ブナに囲まれて、大きくなれるのは林縁に限られるかもしれません。こちらも未展葉。

下層にはカエデ類。イタヤカエデ、ハウチワカエデ。

ヤマモミジ。

オオバクロモジ。

ナナカマド。

アオダモ。

コシアブラ、タラノキ。展葉したばかり。

コマユミ、マユミ。

ツリバナ、オオツリバナ。

ミヤマガマズミ、オオカメノキ。

ヒメアオキ。

このような蓄積の高い森ですが、原生林というわけではありません。切株が多く見られました。おそらく保護林指定される以前に択伐が行われたと思われます。

ヒバの稚樹は、大畑の試験林と同様、ときにカーペットのよう。切株が多いと更新が旺盛、という教科書どおりの状況が見えました。

ブナとカエデ類も稚樹が多数。耐陰性種が勢ぞろい、という感があります。

シカの密度が低いこともあるのかもしれませんが、、、これだけ稚樹密度が高い森林、なかなか見ることがありません。

登山道は徐々に傾斜がきつくなっていきます。

斜面が急になった標高400mあたりからは林床がササ型に変化。

そしてブナの優占度が高い箇所が多くなりました。

標高600mの外輪山の稜線に到達。

この先は急登。ヒバはもう出現しないのかと思いきや、結局山頂付近まで分布していました。

ヒバはササの中にも稚樹。さすが。

歩き始めて約3時間、標高827mの山頂に到着。宇曽利山湖がきれいに見えます。その先(写真ではわからないですが)北海道の島影もかすかに。

東には尻屋崎を経て太平洋、南西は陸奥湾。景色をたのしみました。

こんなにすばらしい山ですが、連休の晴天にかかわらず誰もいませんでした(結局、帰りに二組会っただけ)。

森を俯瞰。ヒバとブナ、湖畔林。すばらしい。

山頂直下、わずかに残雪。ブナの落花で埋め尽くされていました。

標高が高い箇所では、ブナも展葉したばかり。

シャクナゲ、アカミノイヌツゲ。山頂付近だけで会いました。

同じ道を下りますが、飽きません。

ヒバの樹皮。ねじれの表情も味わい深いです。

こちらは、ヒバ・アスナロてんぐ巣病 というのだそうです。それなりに目立ちました。

「登山道沿いの平均蓄積」という値を計算したら全国トップクラスかも。

シラネアオイがありました。ヒバ林の林床にあるとは、意外な感じ。

キクザキイチゲ。

湖岸まで戻れば、あとは快適な歩道。

11時、戻りました。すばらしい森歩きができて、感謝です。


猿ヶ森(東通村)

くるまで移動。むつ市街を経由して、最後は東通村猿ヶ森へ。

集落を抜けると明るいクロマツ林。 地図をみると海岸に沿って長さ15km、幅1km以上にわたる海岸砂丘林が広がっています。

ときにアカマツも混交。マツ2種は、主要な植栽樹種なので自然分布域がわかりにくいですが、北海道には自生しません。

明るい林。多くの広葉樹が混交しています。

ヤマザクラ。花はおわっていました。

ウワミズザクラ、ナナカマド。

ブナ、ミズナラもありました。ここではミズナラもすっかり展葉していました!

イタヤカエデ、ミズキ。

ホオノキ、ケヤマハンノキ。

アオダモ。

オニグルミ。

オオバクロモジ、ツリバナ。

ノリウツギ、ウスノキ。

ヤマウルシ、ツタウルシ。

オオカメノキ、ガマズミ。

10分ほど歩いたところに大きな看板。ここは「猿ヶ森ヒバ埋没林」として知られています。

朽ちかけた木がところどころ、顔を出しています。これらが、埋没ヒバ。

浅根性であるヒバは 、砂丘砂が移動して土壌表層が覆われると枯死しやすいようです。小川に沿って、大径の枯死幹がかなりの密度でみられました。これまで多くの研究が行われており、この箇所が埋没したのは12世紀のことと見積もられるそうです。実に1000年前の枯木!ということになります。

広い範囲でみると、砂丘の形成時期は、上記のほか、約5,000年前、2,500年前、600~500年前、200年前と繰り返されていたとのこと。

かつての鬱蒼としたヒバ林を思いおこすには、いまはとても明るい林。森林の成長、遷移の時間の長さをいつも以上に感じる今回の幕切れでした。